「被害が出たという報告はない」
またまたへ理屈なことを書きます。
このところニュースで表題のような言い方をたびたび聞かされました。
「人的被害が出たという報告はない」。
一番大事な結論が「・・・はない」と最後まで聞かなくてはわからない、この日本語、なんと思わせぶりな言語なのでしょうか。
関係者、近親者だったら「人的被害が出た」まで聞いたところで心臓が止まりそうになるでかもしれません。
私たちは、生まれて以来そのようなもったいぶった言葉で生きてきたことを自覚すべきかもしれません。
「・・・・・・・・・・ということを私は言っているのではない」と、
最後でどんでん返しを食らわすことができる日本語。
最後まで結論を引き延ばすことのできる日本語。
英語だったら、I don’t…と、冒頭で態度表明をしなくてはなりません。
生き方も違ってくるかも。
曖昧、先送りが大好きで、人の反応を確かめながら会話を進める日本人って、よほど他者との軋轢が嫌いなんでしょうね。
真意を考えることもなく、家や一族や主君やしきたりに従って生きていった長い歴史が、日本語や日本人気質にしっかり刻まれているのでしょう。
グローバル化した社会の中で、ある意味大変な時代に私たちは直面しているのかも。英語を学ぶということは、単に言葉を駆使するだけのことではなさそうですね。
匿名さん、コメントありがとうございます。
そうですね。国境が液状化してしまうような時代ですね。これからの日本人は大変でしょうね。